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松江の陶芸家の家に生まれました。彫塑家を志して単身大阪へ出たあと、展覧会に出品した作品が明治天皇のお買い上げを賜りますが、病弱のため花の道に転身。新しい盛花形式を考案し、注目を集めます。わが国のデパートにおける最初の花展を開くなどをして、小原流の花は急速に広まりました。
当初は商人を志していましたが、25歳にして華道界に入りました。流祖の没後、1916年(大正5)二世家元を継承、近代的な指導法や組織化によって流勢を全国に拡大しました。この頃、各地に小原流の支部ができました。また雑誌やラジオを積極的に活用したことも特筆されます。
1938年(昭和13)に家元を継承、「南洋情趣」をテーマにした異色花展を開催して個性を発揮しました。太平洋戦争後は、焦土の中でいち早く花を展示してその名を広めます。その後の前衛いけばなの総帥と目される活躍を続けるとともに、世界各国にも積極的にでかけ、いけばなの普及に努めました。小原流を法人化して、いけばなの民主化も果たします。
三世家元の補佐役として、世界を歴訪、シルクロードを舞台とした作品集を刊行しました。若い世代にふさわしい新しい花「花舞」や「花意匠」などを創案したのですが、志半ばにして逝去。四世家元を追贈されました。
1995年(平成7)、若干6歳にして五世家元を継承。21世紀を担う若き家元として、今後の活躍が期待されています。